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句集原稿

 投稿者:瀬尾睦夫メール  投稿日:2016年12月20日(火)18時51分35秒
返信・引用
  瀬尾柳匠 第二句集(2015) モダニズム
鬼は外とて金堂の外は闇
よく回る床屋のポール春きざす
立春や光束ねし走り庭
どの窓も雪の振り積む二月かな
クッキーの焼ける匂ひや日脚伸ぶ
鍵盤に踊るメロディー水温む
天領の蔵に映ゆるや柳の芽
逞しく回る水車や春の水
また一つ歳を増やして雛納む
しばらくは見入るばかりや花明り
せっかちが吹けば次々石鹸玉
囀りや谷瀬をまたぐ大吊橋
祭足袋土の感触確かむる
石一つひとつが遺跡柿の花
気まずさをほぐす新茶の香りかな
幾重にも曲がる参道沙羅の花
吹奏楽響く母校や雲の峰
次々と生まれる光炭酸水
屈託のなき人生や冷し汁
立秋や空に預けし名残り雲
笛太鼓鳴れば輪になる踊りかな
きちかうや無口となりし美術館
穏やかに晴れる一日や敬老日
運動会数多の国の旗つらね
船頭の話上手や水の秋
絵の中に雪を降らせて十二月
山盛りの冬菜重たし猫車
一列に並ぶ白息大縄跳び
幾たびも沈むナイフや聖菓切る
ポインセチア咲かせて午後の日の急ぐ
隅々へ届く妻の目年用意
瀬尾柳匠第三句集(2016) ゆりかご
立春や香り仄かに胡麻酢合へ
それぞれに広き空ありシクラメン
妻の足はみ出してゐる春炬燵
春愁の深まりゆくや物の翳
また一つ歳を重ねて雛納む
うららかや光を描くフェルメール
さざ波は海のゆりかご桜貝
便箋に記す便りや花の冷え
豊穣の予感大きく花蜜柑
さよならは風が包みし花菜道
便箋に記す便りや花の冷え
冷麦や風は竹林抜けたがる
幼子に合はせる歩幅青き踏む
職辞してより始まりし更衣
好きですと言へば良かつた心太
日に太るえんどう豆を摘みにけり
短夜や我が歳時記にめくり癖
生き急ぐこともあるまひ平泳ぎ
三山は雨の磐座雲の峰
花火師や小さくよしとこゑあげて
鈴虫を放ちて未練始まりぬ
幼子の風捕まへて補虫網
銀漢や端は黄河の澄むあたり
大山は大きなる杭鳥渡れ
天の川SOSを受信せり
秋風や訃報伝へるスピーカー
急峻のここで一息秋薊
とっぷりと暮れて彼方の蘆火かな
夕すすき風を治めてをりにけり
鉄砲の音して枯野緊張す
数の子を噛めば命の音立てて

 
    (野田ゆたか) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次のアドレスにアップいたしましたのでお知らせします。

瀬尾柳匠の目次 http://hai575.info/07/36/00/00.htm

第1句集 初心 http://hai575.info/07/36/01/01.htm

第2句集 モダニズム http://hai575.info/07/36/02/02.htm

第3句集 ゆりかご http://hai575.info/07/36/03/03.htm
 

句集原稿 26年 27年

 投稿者:高橋泉也  投稿日:2016年 7月13日(水)17時32分55秒
返信・引用
  高橋泉也 平成26年分 33句
初暦偕に八十路の駆け競べ
白き肌寄せ合い干さる大根かな
春浅し道路工事の音硬く
黙を解き芽立ち初めたる庭木かな
木の芽吹く家郷は獣はびこりぬ
蒲公英黄一打逆転草野球
春夕陽ワイングラスを高く上げ
菜の花や風も黄色の伊良湖岬
その昔椰子の実つきし浜遅日
聳え立つあべのハルカス春日濃し
ロープウエイ天地左右の景は春
今掃きし三和土に泥の初つばめ
五月来て手足はみだすベビーカー
新緑の吊り橋に腰泳ぎけり
蔭涼寺風の音聴く竹の秋
亀鳴くやペットボトルの泛ぶ池
短夜や叩きて直す宿枕
明易や枕辺に散る未完の句
恋蛍つかず離れず舞ひにけり
雷雨急脚のもつれのもどかしく
鬱といふ魔物栖みつく黴の宿
晩節を汚すまじとぞ青嵐
み空より白刃の滝海を刺す
掬ひたる金魚けふより家族かな
老幹をよじのぼりたる苔の花
夕立やほめきを残し走り去り
ほろ酔ひの降り立つ駅は夜の秋
余生など無き蝉今を限り鳴く
ながれ星湖に降り来て袖濡らす
大琵琶に光芒放つ十三夜
病窓に知り合ふ人と十三夜
宇宙服ほど着膨れの釣り漢
煩悩の融けゆくまでの日向ぼこ

高橋泉也 平成27年 33句
偕老や杖を曳きつつ初詣
空濠に青点々と冬の草
滑り台点検中や春隣
神鶏の威を放つ杜梅日和
冴え返る国生みの島機下にして
囀りの四方にひろごる樟大樹
母の忌や籬に溢る雪柳
ひよどりの峪舞ひ落ちる春の雪
たこ焼屋に名残を惜しむ卒業子
言問ひの首をもたげて亀の鳴く
藤村の詩口ずさみ春惜む
無為なるを是とし朝寝をしたるかな
薫風や竹の囁き聴こふ径
白牡丹接写レンズに紅ほのと
老鶯や雨意たちこめる大江山
梅雨兆す空港島に暈の月
今置いた眼鏡を探し梅雨籠
翡翠の鋭き眼水を刺す
城濠の影を揺らして涼み舟
欄干に凭れて涼む宿の下駄
忽ちの黒南風に木木騒ぎたて
晩歳の闇夜に回る走馬灯
筆洗ひ写経の一筆敗戦忌
秋暑しスマホ群がる駅ベンチ
昏れゆけば百鬼の遊ぶ芒原
芒原点となりゆく漢かな
葡萄棚河内と大和つなぎけり
中天と湖面に今宵月二つ
居心地の良きとこ選び木の実落つ
掃き捨つるには惜しき色せる枯葉
沈みゆく陽に影長き枯木立
古暦捨つるに惜しき希臘遺跡
ベランダに羽根の一枚冬の鳥
                                  以上
 
    (野田ゆたか) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次のとおりアップいたしました。

初暦(平成26年分)
http://hai575.info/07/19/10/10.htm

春隣(平成27年分)
http://hai575.info/07/19/11/11.htm
 

私と俳句

 投稿者:高橋 亨  投稿日:2016年 7月13日(水)17時26分31秒
返信・引用
      私の定年後 その二  高橋 亨       平成27年6月

  定年後の趣味として外は釣り、内ではそのうち見つかるだろうと書いたが、意外な展開で、俳句に嵌まってしまった。

      私と俳句
  昭和18年ごろは大東亜戦争の最中、当時、私 小学校の五年生。勉強どころでない、出征兵士の家に勤労奉仕の毎日。そんなある日養父が実家へ芋ほりの手伝いに行けと、姉と二人だけで、薩摩芋の蔓を切り芋を掘った。その芋ほりをしながら、姉と五・七・五の言葉遊びをした。実父弥十郎が、多少俳句をたしなんでいたので姉は、それを真似ての五・七・五であつたろう。何故かその時の畑の場所、情景を鮮明に覚えている。今から考えると錯覚・幻覚であつたかも知れない。

  相当後になって知ったことだが、実父弥十郎は地元の句会に入り、その先生から「麓草」の俳号を貰い作句していた模様。私の手元に40句ほどの作品しか残っていない。今のパソコン時代と違って紙に遺したであろうが、どこにも見当たらない。実兄に質したが、何もないとの事だった。
  麓草吟の40句の中から私の気に入った俳句5句。
    田植する姉さん被り小雨降る
    五月雨に濡れて立ちたる六地蔵
    薫風や君洗髪のうつくしく
    秋立つや窓に乾したる水枕
    咲くまでは菊とは知らず草の中
今から考えると姉との言葉遊びが、最初の俳句との出会いであった。もちろん俳句と言える代物ではなかったが・・・。

  その後地元の高校を出て、大阪の鋳物の会社に就職。この会社の社長が風流人、文楽や俳句が趣味だった。いつぞやは工場の中に舞台をつくり、大阪文楽座の面々を呼び、自らも出演し、従業員及び家族、近所の人を招待し喜ばせた。
  当然会社には俳句会があり、先輩諸氏から「俳句をやれ」と再三再四すすめられたが、不器用な私は、仕事をこなすのが精いっぱいで断り続けた。そんなことで62歳で会社を退職するまでは、俳句に縁のないくらしであつた。

 因みにその時の社長は、俳号を「忽那文泉」氏といってホトトギス歳時記の例句にも載っている俳人である。「文泉」氏の師匠は「舘野翔鶴」氏、これまた歳時記に何句も載っている。俳誌「引鶴」の創始者でもある。舘野氏は、家具会社の社長であつたので、我社と取引があり、私も何十年に亘り知己の間柄であつた。もうそのお二方も故人になられた。

  以上なような次第で、1995年会社を退職、屋外での趣味は釣り。屋内で頭を使う趣味は何かないかと、考えてゐた時、多分退職後2年ほどたったころだろうか。

  千葉から来た後輩、藤本君と難波で落ちあい、とあるレストランに呑み入った所、そこで俳句会帰りの土井木賊さん門田窓城さんたちにばったり出合う。土井・門田さんとは会社で何十年の付き合い、私に俳句をやれと強引に薦めていた先輩であり、藤本君も当然二人は知っている。そんなことで忽ち合流。そこで西崎佐知先生(後年引鶴誌の主宰者)を紹介される。お酒がはいり、俳談・談論風発で大いに盛り上がる。
  その席で「今度の日曜日、滋賀県の守山で吟行があるが参加しないかと」と誘われ「盲蛇に怖じず」とアルコールのせいでOKしたのが、私の俳句の始まりである。

  守山への吟行では、引鶴主宰者の山口正秋先生にも引合わされ、冷や汗の連続。窓城さんに内緒で貰った句が特選・他にも選に入り、何とか吟行を終えた。

  これは後日談、その年の秋、OB会で土井木賊さん「高橋君、初回の句会で特選を取るって素晴らしい」と私を褒める。私、たまらずに「あれは窓城さんに貰った句」と告白。土井さん「それならわかる、何十年一緒に仕事してきて高橋君を知っている積りだったので、不思議と思っていた」

  その後、両先輩の薦めもあり、ぼちぼち俳句を始め、佐知先生の添削をいただき引鶴誌に投句を始めたが、俳句と言うより単に季語をいれ、五七五と並べているだけのものだった。そんな状態が5年ほど続いた。

  大阪の長居から、ここ高石に引っ越した(2004)翌年、地元の句会「瑞松俳句同好会」及び、引鶴誌の「難波俳句会」に参加するようになる。
「季語・切れ」の意味、「写生せよ」「焦点をしぼれ」の叱声の言葉が分かるようになり、少しづつ俳句の面白さが分かりだした時期。ここで屋内での趣味は俳句にしようと決める。それなら、基礎から勉強とユーキャンの通信教育を1年ほど受けたが、年とつてからの勉強はつまみ食いした程度しか頭に入らない。文法はからしき駄目。

  然し、俳句を始めたことで、自然の移ろい・人間の営み・行事等をよく観察するようになり、金木犀のかおりがするとか、稲の花が咲いたとかに感嘆し興味をもつようになった。
  これも俳句を始めた効用とと喜んでいる。「一語・一音」の大切さが身に沁みて解るようにもなつた。又自分の俳句が、日記・旅行記・自分史の役割を果たしており、私の人生を潤おしてくれている。土井木賊・門田窓城両先輩。並びに西崎佐詩知先生に感謝・感謝である。

 その後、引鶴誌廃刊・西崎佐知先生死去に伴い、難波句会も解散となつたが、現在、瑞松俳句同好会の句会参加・引鶴誌より引き継いだ「未央誌」に投句。
インターネットで「俳句の交流掲示板」・「俳句ステーション」の句会参加、並びに「未央de」に投句などこなし、月約50句の俳句を作っている。

  夜、寝床での作句が毎日。ベツトには、メモ用紙・歳時記、電子辞書・俳句誌・鉛筆などが散乱。妻の小言を聴きながらの作句。今日外出した時の見聞、テレビの映像などを題材にしての作句。午前2時頃になることもざら。これぞ至福なり、とても楽しい。俺の人生は俺のもの。自分で好きなように時間が使える。

  それとここで絶対書いておきたい事がある。それはインターネット上に高橋泉也の俳句が300句以上載っていることである。
  今から四五年前、何気なくネットで「高橋泉也」を引いた所、私の俳句が短冊に書かれ載っているではないか。
  これはどういうことかと調べたら、引鶴誌の先輩「野田ゆたか氏」がネット上に「清月俳句歳時記」を作り、引鶴誌及び引鶴の各句会から句を季語の例句として、載せてゐられることが判明、次から次へと高橋泉也の俳句が載っているではないか。嬉しくて嬉しくて載っている句を書きだしてみると、それがなんと200を超えている。
  詳しく見てみると、歳時記とは別に、個人の代表句10句、及び個人別句集も作り載せてゐられることが分かる。そうなると、私の俳句も、下手な句と承知していながら、載せて貰いたいと、欲がでで来る。
  それで、私のなかで恥と欲とのせめぎ合いが起つたが、結局欲が勝ち、野田ゆたか氏に、思い切ってこれまでの全作品と写真を送り、掲載方依頼した。ネット上では自選となっているが厚かましく、野田ゆたか氏に選おも頼みこんだ。野田氏は快く御引受けくださり、平成24年秋、「高橋泉也代表句」及び、「高橋泉也句集 第1句集~第7句集が載せられ 私の何ものにも代えがたい、人生最大の宝となった。
  その後一年毎に句集を追加し、現在第9集までになつている。

  高橋泉也代表句   10句

  俳壇句集 高橋泉也句集
       第1句集 鳴き砂   平成12年~17年  31句
       第2句集 水温む   平成18年    25句
       第3句集 館うらら  平成19年     25句
       第4句集 初明り   平成20年     25句
       第5句集 杜若    平成21年     25句
       第6句集 薄暑    平成22年        25句
       第7句集 枯淡    平成23年      43句
            第8句集 歳旦    平成24年      63句
       第9句集 朝凪    平成25年      33句

  今では、俳句をしている人には勿論、友人知人に会う度に「泉也の俳句が載っているから見て」と吹聴いている始末。

  「泉也」の俳号
   35か36歳の時、同じ職場に「百田一法子」(俳号)さんがおられ、私に熱心に俳句を薦めた方の一人である。私が断り続けると「それなら君の名前を貸してほしい、一法子だけでは投句に限りがあるので、君の名前で自分の俳句を投句したい」とのこと。私は「そのまま私を俳句の世界にずるずると引きこまないでくれ」「わしは絶対俳句はあかんで」と念を押しOKした。
  一法子さん「俳号はどうする」と聞く、「わしは俳句はせんで、何もせんやのせんや・・千也・・泉也にして」・・・。千也は、「千田是也」を類想するから否。泉也(せんや)の誕生である。

  今から思うと「いい加減な」と思うが、そのまま「泉也」を引き継ぎ、これまで泉也の名前で何千の句を作っているところからして、泉也の俳号が、相当気に入っている証拠。

  私は、作句について、[ 句意は明確、明るく・楽しく・趣は深く ] を心がけているが、中々思うようにはできない。だから俳句は面白いと強がりをいっているが・・・。

  これからも泉也で俳句道に邁進し、己が晩生をより豊かなものにしたいと考えている。
 
    (野田ゆたか) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次のアドレスにアップいたしました。

私と俳句
http://hai575.info/07/19/pdf/senya.pdf
 

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